To go forward

6月15日現在。
下記は2月半ばころに書いていたのですが、色々あって、ほったらかしてましたのでした。
こっから特に自己分析をすすめるわけでもないので、とりあえずあげてみる。
今更ながら。まぁここから。ここからよね。

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『ダライコ挽歌』に出演して、終えて、ずっと渦巻いていることを書いてみる。
なかなか気持ちの整理がつかない。
むりやり頭のなかでは思考と分析と整理をしているが、わたしの身体と心はそこについていっていないようだ。
いつまでももやもやとし続けている。

まず、この公演(の二日目)で、わたしに起こったこと。
その日の1回目マチネの舞台、ぜんぜん思うようにいかなかった。思うようにしようと思ったことが間違っていたかも。
具体的には、台詞を噛みまくった。
そのことに気をとられてぱにくり、何とか立て直すことを焦れば焦るほど空回った。
上演中に、あんなにおかしくなったのは初めてだ。そのことも私を動揺させていた。
私がなかなかやろうとしてできなかった場面の、台詞群。
できないことを無理にやる必要はないという指摘に、多分、なぜか、混乱してしまった。
台詞のスピードのことなんだけど、ね、速くしゃべりたかったのだ、ほんとはね。
でもね、自分がちゃんとものを言えるスピードを超えていたのだね。これは完全にわたしの稽古不足だ。
混乱のまま成すべきことが分からずやった結果、普段よりパフォーマンスが落ちた。と私は感じた。
そのことにショックを受けた。こんなことじゃいかんと思ったので、次の回に挽回をはかろうとした。
序盤は何とかなった、ような気がした。ら、後半に行くにつれまた噛みがひどくなってった。
思うように自分が仕事できてないことにまた焦った。力を抜こうと思ったら別のとこに力は入った。
なんだか今までやってない芝居が出てきたようで、それはまあ仕方ないかとも思うが、
自分のプランしたことじゃないことになったので、なんでこんななったのかと敗北感が募っていたカーテンコールで。
ダブルコールがきた。出ていった。いたたまれなく。わたしにはこの拍手を受ける資格がないと思った。
観にきてくれた先輩のパフォーマーさんが、とても良かったと喜んでくれた。それを聞いて涙が止まらなくなった。
役者仲間がたくさんいたその日の呑み席で、とりあえずその時の気持ちを整理したかったし、吐き出しておかないと、
次に行けない気がしたので、色々自分に起こったことを共演者やお客さんにまでも喋っては泣いた。
帰宅してまた反芻して泣いて翌日の千穐楽で同じことを繰り返さないために気持ちを切り替えようと思った。
翌日ただ、ただ、落ち着いて、ふつうにできることをやればいいのだと思ってやった。
たぶん普通にできたと思う。……たぶん。怖くてどうだったかとか、聞いてない。
それでまあ、落ち着きはして、ああ良かった、…かな? と一旦思ったけれども。
やっぱり打上で気分は晴れなかった。後悔が深かったんだろう。

芝居は人から聞く限り、大半とても評判がよい。出演者の評判もよい。
SNSや直接感想を聞いていても、
ハッピーエンディングとはいえないので、辛いとか、好みでないという意見も少しはあるのだが、
それでも、役者が「達者」で「手練れ」だという賞賛のオンパレード。にわたしには見え、そしてわたしはまた、
ああ、それは絶対にわたしのことではありませんよねと思ってしまう。

そしてもう一週間以上経っているというのに、あれは何だったのかということが頭から抜けない。

1、自意識が全開になっていた。
2、周りの共演者への劣等感もすごかった。
3、自分ひとりだけがちゃんと出来ていないと思って落ち込んだ。
4、とにかく身体が固まっていた。呼吸がおかしく、重心も定まらず、要は発声筋肉もかたまってて喋れなくなってた。
で、
去年の秋にあっそうだと自覚したことは、実際に私の問題点で課題なんだという証拠のようなできごとだった。

何年もそう思っていて、人にも言っているが、台詞術中心に芝居をしてきたわたしが今MCテクニックを勉強して、
その身体&心理&想像の力によって演技へapproachすることと、台詞術というものが、うまくつながっていない気がするのだ。
台詞術というものへの考え方がひょっとして間違っているのかも、と昨日ぐらいに気づいた。
台詞術とは、発声から発音、台詞まわし、組立てのことだと思ってたら違う。
それも演技テクニックに含まれるので、分析的思考が入るとブレーキがかかる。

または、私は台詞というものを今回、自分を武装する鎧のように扱っていたのではないかと気づいた。
台詞と闘う芝居がある。これは言葉の難易度や芝居の質によっても違うのかもしれないけど。
まあ、台詞と格闘してるよなー、と思った芝居は過去いくつかあった。
たたかうったって、別に台詞に殺されるわけではないので、それは台詞と組んで踊るようなことなのかもしれない。
それが、今回は台詞を言うことが自分にとって武装のように感じられていた気がする。
何から自分を守って何を打ち負かそうとしていたんだろう?
それは本当にクソみたいなんだが、「うまい役者と思われたい」という虚栄心だ。ということにどこかで気づいてはいた。
それをないことにして、謙虚そうにふるまって、まだまだ勉強したいなんて言っている自分がえらいことちっさいということを、
衆目にさらす事象であったのではないか。